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ボランティア活動

2013年09月17日ボランティア活動 社長ブログ

台風18号

皆さん、こんにちは。

この度の台風で被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。

今回の台風では、風もきつかったですが、雨が凄かったですね。
15日から16日にかけて、相当降りましたが、皆さんだいじょうぶでしょうか?

私はと言いますと、16日に早朝の現場があり、4時半に起きて、テレビをつけたのですが、NHKで嵐山の映像と、私の家から5分ほどの滋賀県庁前の映像が流れていました。そしてさあ、出かけようかという5時過ぎに災害メールが鳴り響きました。雨風は強烈でしたが、道は冠水してなかったので、草津の現場に近江大橋を通り作業に向かいました。
向かっている際には、福村さんから電話があり、スタッフで避難勧告が出ている地域の方から、仕事にいけない連絡があり、やり取りしました。
 
現場について、スタッフの皆さんと「凄いですね」なんて話しながら作業を終え、仕事場を8時過ぎに出ました。私の家まで近江大橋を通り15分ほどなのですが、近江大橋が大大渋滞ではないですか。16日は敬老の日で、私は長寿委員をしてまして、準備や進行やらしなければならなかったので、全然進まない車にあせっていました。その時は、名神が通行止めで、1号線の逢坂山で土砂崩れが発生したなんて全然思っていませんでした。
9時半センター集合だったので、9時過ぎに遅れると電話したところ、「今日は長寿の集い中止やで」と。そりゃそうだ、こんな天気でお年寄りの皆さんにお越しいただく事は不可能やなあと納得したのですが、そのあとに、「町が冠水して今から泥出しするで」と。それでも車は動かず、近江大橋の上でした。

山科の状況も心配だったので、出勤していた林田君に状況を聞き、事務所付近は冠水していないが、すぐ近くは冠水している、五条トンネルが閉鎖されているなどの確認をしました。

10時前ようやく近江大橋を抜け、延々裏道を駆使して家に帰り、東北ボランティアで使った、安全長靴とゴム手袋をもって現場に行きました。すでに泥出しが始まっていました。

この奥の道はかなり水がたまっていました。バケツリレーで何回も
水をくみ出しました。

奥のお宅は腰位まで水につかり、家財道具がダメになりました。
おばあちゃん、1人暮らしなので、大変だと思います。

地元の災害対策本部前です。

地元の自主防災、消防分団、体育振興会などが集まり、ボランティアを行いました。特に体育振興会は結束が高く、何をする時でも主力になっているので、いい組織だなと思っております。ちなみに僕も所属しています。

夕方、事務所に向かおうと思い、唯一京都へいける湖西道路に向かいましたが、全く動かなかったので、一旦諦め、JR湖西線が動いているという情報を聞きつけ、自転車で大津京まで行ってみました。16時位に着いたのですが、17時過ぎから動き出す計画だが、確定ではないとのことで、これも諦めました。もしかしたら1号線が開通しているかもしれないと思い、自転車を走らせ、逢坂山手前の踏切まできましたが、いまだに復旧作業中で、京都に行くのは諦めました。
踏切付近はこんな感じでした。

京阪浜大津~山科間の復旧は少しかかりそうですね。

今回、特別警戒警報の真っ只中に仕事に向かったのですが、実際に感じた事は、家の近くで、洪水が発生していても、実際に目で見なければ、危険を感じないことが分かりました。私も早朝に出発した時、徒歩で5分くらいのところが大変になっていたのですが、そこを通っていないので、わかりませんでした。

京都、滋賀は水害の被害が少ないといわれている地域ですが、最近の天気に例外はないですね。もう少し、危機管理をしっかりする必要があるなと感じました。

2013年08月06日ガラス清掃 ボランティア活動 社長ブログ

いろいろ行いました。

皆さん、こんにちは。

先週はいろいろな事を行いました。
まずは31日、ハイワーク、いわゆる高所作業車ってやつですね。
久々に乗ってガラス作業と壁面の清掃を行いました。

そして1日・2日はビルメン協会の仕事で、大阪国際会議場
で少しお話する機会をいただきました。いろいろな方とお話できるので
とてもいい経験になります。

3日土曜日は昼で上がらせていただき、4日に行われる夏祭りの前日準備
を行い、そのままキッズサマーキャンプのお手伝いをしました。
その中で、防災学習があり、体育館に避難所を設置し、安否確認のメッセージ
を書くなど、とてもいい学習だったと思います。防災学習のあと、100人分のカレーを
作り、子供達と一緒にいただきました。
  
4日は、5時半から8時半まで、日常現場でトイレ清掃をこなし、9時過ぎに帰宅し
10時から住んでいるマンションの「流しそうめん大会」の準備を行いました。
皆さんも持っていると思うのですが、「マイ流しそうめん竹」を私がもっているので
今回の企画が決まり、私も主催者側になったというわけです。
「マイ流しそうめん竹」大活躍です。スイカ割りも行い、大いに盛り上がりました。
1時過ぎに終え、流しそうめんの余韻に浸りながら、2時からは夏祭り本番の準備
に向かいました。そして4時から夏祭りが始まりました。


屋台あり、ゲームあり、ジャズバンドありとこちらも多いに盛り上がり
たくさんの方が楽しんでおられました。

今年も夏祭り大いに盛り上がりました。地元の活動は皆さん
いわゆるボランティアなわけですが、とても大切なボランティアだと
思っています。もちろん災害などの地域に行ってボランティア活動
することも大切ですし、貧困国などでボランティア活動することも大切だと
思っています。そしてそれらと同じように、地元の日々のボランティア活動
もとても大切だと思っています。
地域社会のつながりが薄くなってきているといわれていますが、地元で
当たり前のように様々な活動をしている方がたくさんおられます。
そんな方々のお手伝いが少しでも出来ればと思っています。

まだまだ暑い夏は続きますが、熱い気持ちで頑張りましょう。
感謝

2013年08月01日ボランティア活動 社長ブログ

再び東北へⅢ

皆さん、こんにちは。

東北最終日のことを書こうと思います。
26日最終日は、大槌から仙台の南に位置する亘理町に向かいました。
朝、テラルネッサンスの皆さんにお別れをして、10時くらいに出発しました。
そこから、再び延々と海岸線を南下しました。
一番最初に訪れた2011.6月の写真(左)と2013.7月の写真を比べて載
せようと思います。

大槌の小学校です。今は外壁も塗り替えられ、大槌町役場として使われています。
 
気仙沼「グラウンドゼロ」というガラスの看板があった場所です。
 
気仙沼港です。今は岸壁が直され、たくさんの漁船が停留していました。
 
南気仙沼駅です。瓦礫は運ばれ、建物は解体されホームだけが残っていました。
 
陸前高田の「奇跡の一本松」です。再生された松です。
 
また途中、気仙沼岩井崎という看板を見つけなんとなく行ってみました。
そこにはなんとこんなものがありました。まさしく「龍」ですよね。
何か惹きつけられるものがあったのかもしれません。

ちなみに、沿岸沿いには、仮設の処理場が出来ていて、とても多くの
トラックがひっきりなしにやってきます。

大槌から走る事、7時間ようやく亘理町に到着です。
亘理町では、みやぎのあられの石田さんが宿に迎えに来てくれて、亘理町では超有名な「浜寿し」さんに連れて行っていただきました。浜寿しさんは亘理町の荒浜地区にあったのですが、やはり津波で全てが流されました。再開するときに、石田さんから食器支援を募っているメールをいただき、少しだけ送らせていただきました。それが、このアナゴの白焼きがのっている黒いお皿だったのです。大将がこのお皿で出してくれました。

翌日は、朝から石田さんに亘理町を案内いただきました。浜寿しさんのあった荒浜地区も行ってきました。昔あった場所には何もなかったです。震災前は80人の宴会が出来るほどの大きなお店だったそうです。お庭にあった大きな石だけが残っていました。
その後、防潮林を復活させようと活動している、「わたりグリーンベルト」プロジェクトの発起人である、加藤さんを御紹介いただきました。防潮林を復活させるだけではなく、そこにカヌーが出来る川を作ったり、キャンプ場等を作り、皆が集まる場所にする計画だそうです。
で、そこに雇用を100人つくるとおっしゃっていました。復興には、人が集まる事と、仕事が必要だと力強く語っておられました。ものすごく同感です。大槌のテラルネさんも仕事を作っておられます。グリーンベルトが出来上がるのが楽しみです。

11時頃亘理町を後にして、次は何と福島県いわき市を目指しました。いわき市まではそのまま南下すれば2時間ほどなのですが、途中福島第一原発があるので、南相馬市から飯舘村を通りぐるっと迂回しなければなりません。原発に一番近づいたのは、小高地区という原発から20キロちょっとに位置にある町でした。駅前から商店街があるのですが、ほとんどの方が家を残し、避難されています。家があるのに帰れない。また、飯舘村も同じように、主のいない家がたくさんあり、今なお除染作業中でした。

26日18時に無事いわき市に到着し、27日早朝には夜行バスで京都につきました。

今回は、三陸沿岸部だけでなく、福島の原発事故の状況も見ることが出来ました。
自分に何が出来るか、今はわかりませんが、見続けていこうと思っています。

今日から8月ですね。蒸し暑い日が続きますが、気合入れてがんばりましょう。

感謝

2013年07月31日ボランティア活動 社長ブログ

再び東北へⅡ

皆さん、こんにちは。

昨日に引き続き東北のことを書こうと思います。
東北へは7月23日に東京出張があったので、この際にと思い、
東京から仙台への夜行バスで行ってきました。
なんと運賃は4500円です。しかも、3列独立シートです。贅沢です。
4列シートでは横の人との肘の攻防でおちおち寝てられないので
3列独立は最高です。

大川小学校をあとにして、延々海岸線を北上いたしました。
南三陸町~気仙沼~陸前高田~大船渡~釜石
走る事6時間、ようやく大槌に到着しました。
大槌には、京都のNPOテラ・ルネッサンスさんの
「大槌震災復興刺し子プロジェクト」の事務所があります。
ここで刺し子さんたちが、Tシャツや布巾、コースターなどに
刺し子をしています。私がお邪魔した日にも、刺し子会をされていて
東京から来られたボランティアの方々とちょうどお茶っこをされていた時でした。

またこの日は、7月26日から3日間開催していた日本最大級のロックイベント
「フジロック」に出店するための準備で大忙しでした。
ここで作られている商品は「大槌刺し子」で検索すれば、インターネットでも
購入できますので、ぜひご覧ください。素敵な商品がたくさんあります。
夜は、元刺し子さんの小川さんが大槌北小きらり復興商店街に七福という
焼鳥屋さんをされているので、行ってきました。

とても美味しい焼き鳥でした。

市街地を望む高台には、希望の灯りがともっていました。
神戸にある希望の灯りを持ってきて、こちらにも灯したそうです。

高台から見た今の大槌町です。

この日は、元々はこの写真の真中あたりにあった小川旅館さんに
泊まりました。

御夫婦でされていて、その当時のお話も聞かせていただきました。
でも、それ以上に、奥さまの好きな松本幸四郎さんや嵐の話を
たくさん聞きました。気さくなとてもいいご夫婦でした。

大槌の仮設住宅の場所が書いてある地図も写真で撮ってきました。

一番下の青い部分が海です。高台から見たあたりです。
この地図の赤い印が仮設住宅の場所です。
仮設住宅は、市街地からかなり遠いところにも建てられている事が
分かります。一番遠いところは約10キロくらい離れています。
これだけ見てもとても不便な場所で生活されている事が分かります。
本当に復興はまだまだです。
最終日は大鎚から仙台の南にある亘理町に行きました。
また明日書こうと思います。

2013年07月30日ボランティア活動 社長ブログ

再び東北へ

2011年3 月11 日に発生した東日本大震災において,多くの方々の尊い命が奪われ,
いまだ行方不明の方々も多数おられ,甚大な被害が生じましたことに,改めて心より
哀悼の意を表し,被災された方々にお見舞いを申し上げます。

先週7月24日から26日まで東北行ってまいりました。
今回は、ボランティアではなく、人に会いに行っていたのですが、どうしても最初に
訪問したい場所があり、行ってまいりました、それは大川小学校です。
小学校の前には慰霊塔があり、やはり何人かの方が訪れて手を合わせておられました。
震災から2年4ヶ月が経ちましたが、時は止まったままでした。
到着してまっすぐ慰霊塔に向かいましたが、涙がこぼれてきました。

大川小学校では、毎日親御さんたちが来られて慰霊塔をきれいにしている
そうです。私が行ったこの日も、この校舎の前に女性がひとりぽつん立って
いらっしゃいました。

震災前に書かれた絵です。宮沢賢治の言葉が書いてありました。
 
「雨にもまけず、風にも負けず」
「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」
と書かれていました。

校舎の少し離れたところに向日葵畑がありました。
男性がひとり手入れをされていて、校舎の前に立っていた女性も
いつしか向日葵畑にいらっしゃって、一緒に手入れをされていました。

私は防災の専門家ではないので、なにも言えませんが、
同じ悲劇が二度と繰り返されないことを、ただ願うだけです。

大川小学校をあとにして、大槌へと向かう為に車を走らせました。
また、明日以降書こうと思います。

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