お知らせ
ウガンダ行ってきました‼皆さん、こんにちは。
8/2に成田から出国し、アフリカのウガンダに行ってきました。なぜウガンダかと
言いますと、京都に本拠地を置いているNPO法人テラ・ルネッサンス(以下テラルネ)が、
ウガンダで元子ども兵の社会復帰支援をしていまして、弊社は法人サポーターをしております。
私自身も、7年前から理事として関わらせていただいていて、コロナの影響で止まっていた
スタディーツアーが、6年ぶりに開催されることになり行ってきました。
テラルネのウガンダでの詳しい活動はこちらをご覧ください→テラルネHP
8/2の21:05に成田を離陸し、韓国の仁川を経由し、エチオピアのアディスアベバで乗り継ぎし
8/3の現地時間11:15にウガンダのエンデベに着きました。時差が現地時間に+6時間なので、
日本時間だと17:15です。
この日は、エンデベから首都カンパラへ移動し、宿泊しました。
8/4 朝にホテルを出発し、約6時間かけて、活動の拠点グルへ移動し、スマイルハウスに到着。
すると早速、歓迎のダンスで出迎えてくれました。


この日は、グルのローズベリーホテルに宿泊です。ウガンダのホテルは蚊帳が標準装備です。

8/5は、朝からスマイルハウスに移動し、現地での支援の説明を、テラルネの前理事長の
小川さんから説明いただきました。こちらも詳しくはHPをご覧ください。→ウガンダ グル事業


職業訓練では、女性は洋裁、男性は木工を学んでいます。

私たちが説明を聞いている間に、お昼を作ってくれています。


お肉は鶏肉と、牛肉、ご馳走です。とても美味しくいただきました。


この日は、ウガンダドリームプレゼンテーション略して「ウガドリ」が行われました。
ドリームプランプレゼンテーションはこちらをご覧ください。→ドリプラ
ウガドリでは、元子ども兵が5名、日本からツアーに一緒に参加した高校3年生のひなちゃん
が行いました。
ウガンダ北部はアチョリ族で皆さんアチョリ語を話されます。ウガンダはイギリスの植民地で
ウガンダ語と英語を話す方が多いのですが、元子ども兵の方は、子どものときに誘拐されているので
きちんと教育を受けていませんので、アチョリ語しか話せない方も多いそうです。
なので、元子ども兵がアチョリ語で話し、それをテラルネ現地スタッフが英語に訳してくださり、
テラルネの日本人スタッフの皆さんが日本語に訳してくださいます。
1人目
9歳で誘拐されて、12年間の拘束の後、2004年に帰還した。帰ってきた
ときに父親が生きていたが受け入れを拒否されて、生きる価値のない
人間なのかと思ったそうです。一時期アルコール依存にもなったが
テラルネに出会い、心のケアを受けて、洋裁を学び、生きていく意味
をテラルネから学んだとおっしゃいました。自分ができるようになり、
分かち合うことを学び、自身も教える側に回り、10人の生徒を受け入
れるまでになったそうです。お金がない人も受け入れていると。
自分がテラルネから受けたお礼をしたいと。
夢は、土地を買い、教室をつくり、困難を抱える人々にチャンスを与え
たいとおっしゃっいました。
2人目
13歳で誘拐された。ずっと村に帰れることを願って
いた。3人兄弟で、兄と弟も誘拐された。ウガンダに
兵士として帰ってきたときに兄が殺された。
その1か月後に戦闘中の爆撃で首に破片が刺さり
3年動けず、祈り続けていた。2018年、コンゴから
中央アフリカに軍が移動し、2023年、ウガンダに戻って
くることができた。テラルネのスタッフやテラルネを応
援してくれている人に感謝している。たくさんの人に
サポートの輪を広げて欲しい。私自身が生きること、
そして子供も生きることをまっとうして欲しい。夢は、技術を使ってお金を稼ぎ、家を建て、土地を
買って訓練センターをつくり、周りも幸せに生きていける社会をつくる。
3人目
2003年、13歳のときに誘拐された。8年間拘束され、けがを負い、
帰還。足の傷が癒えず、1年半松葉づえをついていた。
帰還した時は、リンガラ語を話していて文字や名前が書けなかった。
テラルネで訓練を受けて文字が書けるようになり、少し英語
も話せるようになり、木工に集中した。
将来のこと考えて、土地も購入することができた。
夢は、今は2エーカーの土地だが、10エーカーの大きな土地を買って、
もっとたくさんの人を助ける。亡くなった兄弟の子を養っていて
子供たちにももっと支援する。たくさん苦労してきたがこれからも
一生懸命働く。
4人目

彼女は、アチョリ人ではなく、コンゴで生まれて
12歳のときに誘拐された。15年間拘束されて、2023年
に帰還。背中に銃弾をうけた。6年間両親とも会えていない。
難民キャンプにいるときに、テラルネを選んだ。
ここにきてサポートしてくれる人に出会った。
学ぶことにより、文字も数字も読めるようになり、価値を
知った。夢は、訓練で学んだこと、受け取ったことを活かし
自分の店を開いて土地を買いたい。そして子供に教育を受け
させて、子どもの名前で自分の店を買いたい。一生懸命働き、神様に幸せを願っている。
5人目
2000年、10歳のときに誘拐された。兵士のときは
とても苦しい、悲しい経験をした。帰国後祖母と
暮らしているが、昔のことを思い出すと苦しい。
アフリカのことわざで「2頭の象がけんかすると草木
が枯れる」という言葉があるそうです。
強い者同士が争い対立すると、直接の争いに関わらない
弱い立場の人々が損害を被るという意味だそうですが、
彼はこうおっしゃいました。「踏まれた草もまた伸びていく
はい上がっていく力が大事」だと。今は、デザインの先生になり、自分と同じ経験をしている人に
訓練している。夢は、より高い技術を学ぶ。土地を買い木を植える。たくさん稼いで、たくさんの人を
助けたい。グルにテラ・ルネッサンスがあることに感謝している。
6人目
最後は、ツアーに一緒に参加している、高校3年生のひなちゃん。
彼女は、12歳のときに友人関係がうまくいかず不登校になったそうです。
その年の夏休みに、母親とテラルネのウガンダツアーに参加して、
元子ども兵の夢を聞き、衝撃を受けたそうです。夢を語る元子ども兵
を見て、私もそんな人になりたいと。元子ども兵の皆さんに勇気を
もらったそうです。帰国後、子ども兵について、伝える活動を始めました。
そして活動していくうえで、国内の課題に気づきました。
彼女の夢は、孤独を感じている人に居場所をつくり
困っている人をつなげる架け橋になるそうです。
実際に彼女は行動していて、9月から「Clover」という団体を立ち上げて
「誰もが安心して過ごしつつ、自律の力を蓄えられるような場所」をつくり、活動を始めます。
翌日も濃厚な一日を過ごしてますので、また近々書きます。
その時には、今回感じたことも書こうと思います。
笑声でHAPPY
感謝
皆さん、こんにちは。
8/2に成田から出国し、アフリカのウガンダに行ってきました。なぜウガンダかと
言いますと、京都に本拠地を置いているNPO法人テラ・ルネッサンス(以下テラルネ)が、
ウガンダで元子ども兵の社会復帰支援をしていまして、弊社は法人サポーターをしております。
私自身も、7年前から理事として関わらせていただいていて、コロナの影響で止まっていた
スタディーツアーが、6年ぶりに開催されることになり行ってきました。
テラルネのウガンダでの詳しい活動はこちらをご覧ください→テラルネHP
8/2の21:05に成田を離陸し、韓国の仁川を経由し、エチオピアのアディスアベバで乗り継ぎし
8/3の現地時間11:15にウガンダのエンデベに着きました。時差が現地時間に+6時間なので、
日本時間だと17:15です。
この日は、エンデベから首都カンパラへ移動し、宿泊しました。
8/4 朝にホテルを出発し、約6時間かけて、活動の拠点グルへ移動し、スマイルハウスに到着。
すると早速、歓迎のダンスで出迎えてくれました。
この日は、グルのローズベリーホテルに宿泊です。ウガンダのホテルは蚊帳が標準装備です。
8/5は、朝からスマイルハウスに移動し、現地での支援の説明を、テラルネの前理事長の
小川さんから説明いただきました。こちらも詳しくはHPをご覧ください。→ウガンダ グル事業
職業訓練では、女性は洋裁、男性は木工を学んでいます。
私たちが説明を聞いている間に、お昼を作ってくれています。
お肉は鶏肉と、牛肉、ご馳走です。とても美味しくいただきました。
この日は、ウガンダドリームプレゼンテーション略して「ウガドリ」が行われました。
ドリームプランプレゼンテーションはこちらをご覧ください。→ドリプラ
ウガドリでは、元子ども兵が5名、日本からツアーに一緒に参加した高校3年生のひなちゃん
が行いました。
ウガンダ北部はアチョリ族で皆さんアチョリ語を話されます。ウガンダはイギリスの植民地で
ウガンダ語と英語を話す方が多いのですが、元子ども兵の方は、子どものときに誘拐されているので
きちんと教育を受けていませんので、アチョリ語しか話せない方も多いそうです。
なので、元子ども兵がアチョリ語で話し、それをテラルネ現地スタッフが英語に訳してくださり、
テラルネの日本人スタッフの皆さんが日本語に訳してくださいます。
1人目
9歳で誘拐されて、12年間の拘束の後、2004年に帰還した。帰ってきた
ときに父親が生きていたが受け入れを拒否されて、生きる価値のない
人間なのかと思ったそうです。一時期アルコール依存にもなったが
テラルネに出会い、心のケアを受けて、洋裁を学び、生きていく意味
をテラルネから学んだとおっしゃいました。自分ができるようになり、
分かち合うことを学び、自身も教える側に回り、10人の生徒を受け入
れるまでになったそうです。お金がない人も受け入れていると。
自分がテラルネから受けたお礼をしたいと。
夢は、土地を買い、教室をつくり、困難を抱える人々にチャンスを与え
たいとおっしゃっいました。
2人目
13歳で誘拐された。ずっと村に帰れることを願って
いた。3人兄弟で、兄と弟も誘拐された。ウガンダに
兵士として帰ってきたときに兄が殺された。
その1か月後に戦闘中の爆撃で首に破片が刺さり
3年動けず、祈り続けていた。2018年、コンゴから
中央アフリカに軍が移動し、2023年、ウガンダに戻って
くることができた。テラルネのスタッフやテラルネを応
援してくれている人に感謝している。たくさんの人に
サポートの輪を広げて欲しい。私自身が生きること、
そして子供も生きることをまっとうして欲しい。夢は、技術を使ってお金を稼ぎ、家を建て、土地を
買って訓練センターをつくり、周りも幸せに生きていける社会をつくる。
3人目
2003年、13歳のときに誘拐された。8年間拘束され、けがを負い、
帰還。足の傷が癒えず、1年半松葉づえをついていた。
帰還した時は、リンガラ語を話していて文字や名前が書けなかった。
テラルネで訓練を受けて文字が書けるようになり、少し英語
も話せるようになり、木工に集中した。
将来のこと考えて、土地も購入することができた。
夢は、今は2エーカーの土地だが、10エーカーの大きな土地を買って、
もっとたくさんの人を助ける。亡くなった兄弟の子を養っていて
子供たちにももっと支援する。たくさん苦労してきたがこれからも
一生懸命働く。
4人目
彼女は、アチョリ人ではなく、コンゴで生まれて
12歳のときに誘拐された。15年間拘束されて、2023年
に帰還。背中に銃弾をうけた。6年間両親とも会えていない。
難民キャンプにいるときに、テラルネを選んだ。
ここにきてサポートしてくれる人に出会った。
学ぶことにより、文字も数字も読めるようになり、価値を
知った。夢は、訓練で学んだこと、受け取ったことを活かし
自分の店を開いて土地を買いたい。そして子供に教育を受け
させて、子どもの名前で自分の店を買いたい。一生懸命働き、神様に幸せを願っている。
5人目
2000年、10歳のときに誘拐された。兵士のときは
とても苦しい、悲しい経験をした。帰国後祖母と
暮らしているが、昔のことを思い出すと苦しい。
アフリカのことわざで「2頭の象がけんかすると草木
が枯れる」という言葉があるそうです。
強い者同士が争い対立すると、直接の争いに関わらない
弱い立場の人々が損害を被るという意味だそうですが、
彼はこうおっしゃいました。「踏まれた草もまた伸びていく
はい上がっていく力が大事」だと。今は、デザインの先生になり、自分と同じ経験をしている人に
訓練している。夢は、より高い技術を学ぶ。土地を買い木を植える。たくさん稼いで、たくさんの人を
助けたい。グルにテラ・ルネッサンスがあることに感謝している。
6人目
最後は、ツアーに一緒に参加している、高校3年生のひなちゃん。
彼女は、12歳のときに友人関係がうまくいかず不登校になったそうです。
その年の夏休みに、母親とテラルネのウガンダツアーに参加して、
元子ども兵の夢を聞き、衝撃を受けたそうです。夢を語る元子ども兵
を見て、私もそんな人になりたいと。元子ども兵の皆さんに勇気を
もらったそうです。帰国後、子ども兵について、伝える活動を始めました。
そして活動していくうえで、国内の課題に気づきました。
彼女の夢は、孤独を感じている人に居場所をつくり
困っている人をつなげる架け橋になるそうです。
実際に彼女は行動していて、9月から「Clover」という団体を立ち上げて
「誰もが安心して過ごしつつ、自律の力を蓄えられるような場所」をつくり、活動を始めます。
翌日も濃厚な一日を過ごしてますので、また近々書きます。
その時には、今回感じたことも書こうと思います。
笑声でHAPPY
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